こんにちは。マレーシア・ペナン在住、3人の子どもをインターナショナルスクールに通わせているSaoriです。
教育移住を考えるとき、私たちは往々にして「英語力の獲得」というメリットに目を奪われがちです。確かに、長女のHikari(2018年生まれ)と長男のZen(2020年生まれ)は、インターに通い始めて3年半。今では兄弟間でも英語で会話することが増え、私が聞き取れないほどのスピードで話すこともあります。
しかし、最近ふと気づいたことがあります。それは、子どもたちの「言語の重心」が、知らぬ間に日本語から英語へと確実に移行しているという事実です。この変化は、単なる「英語が上手になった」という喜ばしい成果以上の、深いアイデンティティの問題をはらんでいます。今日は、教育移住の光の部分の裏側にある、この「言語アイデンティティ」のリスクと、私たち家族の実践的な対策についてお話ししたいと思います。
「ママ、これ英語で何て言うの?」という問いの重み
先日、次女のYukari(2024年8月生まれ)と遊んでいるとき、長男のZenが突然こう聞いてきました。「ママ、『おむつ』って英語で何?」。一瞬、私は言葉に詰まりました。彼は日本語で「おむつ」という単語を知っています。しかし、彼の頭の中では、物事の「概念」と「英語のラベル」が直接結びつく回路が優先的に構築されつつあるのです。日本語は、むしろ「翻訳」が必要な第二言語になりかけています。
これは、5歳のZenだけの現象ではありません。7歳のHikariは、複雑な感情や学校での出来事を説明するとき、まず英語で考え、それを日本語に「変換」しようとしているのが明らかです。時々、変換が追いつかず、「あのね、それがさ…」と日本語で言いかけては、英語の単語を混ぜながら話すのです。
私たちが目指すのは、単なる「バイリンガル」ではありません。日本語を母語とし、日本の文化とルーツを大切にしながら、英語を自由に操る「バイカルチュラル」な人間に育てることです。しかし、日常生活の8割以上を英語で過ごす環境では、このバランスを保つのは想像以上に難しい挑戦なのです。
「母語」が入れ替わる臨界点
言語習得の研究では、ある年齢を境に、主要使用言語が「母語」としての地位を確立すると言われています。特に、思考や感情、夢までもその言語で行うようになる点が重要です。HikariとZenの場合、学校での学習、友達との遊び、読書、そして何より「考えること」そのものの多くが英語で行われるようになってきました。
この変化は、学業面では大きな強みです。IB(国際バカロレア)などのプログラムでは、高度な批判的思考や論文執筆が求められます。思考の言語と学習の言語が一致していることは、間違いなく有利に働きます。
しかし、その代償として、日本語での抽象的な思考や、複雑な感情表現が相対的に弱くなるリスクがあります。祖父母との深い会話、日本の文学作品の味わい、さらには将来ビジネスで必要となる高度な日本語交渉力…。これらは、日常会話レベルの日本語力では不十分です。
最新為替情報(2026年4月19日現在)では、1マレーシアリンギット=40.20円です。教育移住には、学費や生活費といった目に見えるコストだけでなく、このような「文化的・言語的資本」の維持にかかる見えないコストも存在するのです。
私たちが実践する「日本語防衛ライン」
この課題に対し、私たち家族は意識的な「日本語環境の設計」を行っています。これは、単に家で日本語を話すという以上の、体系的な取り組みです。
まず第一に「家庭内公用語の徹底」です。夫婦間、親子間の会話は、原則として日本語のみ。たとえ子どもたちが英語で返してきても、私は日本語で応答します。これは、日本語が「家庭という安全地帯の言語」であることを身体に染み込ませるためです。
第二に「日本語の知的刺激の確保」です。週に2回、オンラインで日本の国語の授業(教科書に沿ったものではなく、物語の読解や作文に特化したもの)を受講しています。また、日本の児童書や図鑑を定期的に取り寄せ、日本語で「学ぶ」「知る」体験を意図的に作っています。これにかかる費用は月々約2万〜3万円(約500〜750リンギット)ですが、日本語力を投資と捉えれば不可欠な出費です。
第三に「日本との情緒的接点の創造」です。祖父母と定期的にビデオ通話をするのはもちろん、日本の季節の行事(節分、ひな祭り、七夕)を家庭で再現します。また、長期休暇には必ず日本に帰省し、自然の中で過ごす時間を大切にしています。ここでの目的は、日本語を「懐かしい故郷の言語」ではなく、「今の自分の一部である生きた言語」として定位させることです。
教育移住成功の新定義:「言語のハイブリッド化」
従来、教育移住の成功は「有名大学への進学実績」や「流暢な英語力」で測られがちでした。しかし、私はそれだけでは不十分だと考えます。真の成功は、複数の言語と文化の間で、自分自身の「核」を確立できるかどうかにかかっているのです。
Hikariは先日、こんなことを言いました。「ママ、私は日本の子でもあるし、インターナショナルスクールの子でもある。どっちかじゃなくて、どっちもなんだ」。これは、彼女なりのアイデンティティの模索の現れです。私たち親の役割は、彼女がこの「どっちも」の状態を、コンプレックスではなく強みとして確立できるよう、土台を整えてあげることです。
そのためには、日本語を「守る」という消極的な姿勢から、日本語と英語を「組み合わせ、昇華させる」という積極的な姿勢への転換が必要です。例えば、日本の歴史を英語でプレゼンさせてみる、または、学校で習った科学の概念を日本語で説明させてみる。こうした「往復運動」が、言語を単なるツールではなく、思考そのものを豊かにする次元へと導きます。
検討段階のご家族への具体的アドバイス
もしあなたが教育移住を検討中なら、学校のカリキュラムや学費と並行して、ぜひ「家庭の言語戦略」も計画に盛り込んでください。
1. 移住前の準備: 日本にいるうちから、日本語の絵本の読み聞かせをたっぷりと。豊かな語彙と日本語のリズムを身体に刻み込むことが、後の防波堤になります。
2. 現地でのリソース確保: マレーシアには優秀な日本語教師が多く在住しています。移住後、すぐに家庭教師や日本語教室のリサーチを始めましょう。コミュニティによっては、日本語を話す友達を作る機会もあるかもしれません。
3. 現実的な目標設定: 子どもの日本語力がネイティブの同学年レベルをキープするのは至難の業です。目標を「日常会話の維持」から「興味のある分野での深い議論ができるレベル」など、現実的で意味のあるものに設定し直しましょう。
教育移住は、子どもの可能性を広げる素晴らしい選択肢です。しかし、それは何かを「手に入れる」代わりに、何かを「維持する」ための不断の努力も伴うことを、心に留めておいてください。言語とアイデンティティは、子どもの成長の根幹をなすものです。そのバランスを見失わず、家族で話し合いながら歩んでいけると良いですね。
私たち家族も、まだ試行錯誤の途中です。この複雑で豊かな道のりを、同じ志を持つご家族と共有できれば幸いです。

